生きるということは?
なかなか結論が出ないが、現時点での考えを文章で整理したくなったので共有。
ズバリ生きるということは「死への恐怖を無くすための旅」であると考えている。
あくまで私の場合だが。
少なくとも私は死が隣にある生活を送っていない。自分と死の位置関係はすごく遠いところにあるように感じている。そのため、「死」は得体の知れないものでありとても怖いものであると感じている。
もちろん私も「死にたい」と感じることはある。だが私の場合、その感情は死とは最も縁遠いものである。死にたいと感じる場面で自分の気持ちを整理してみたところ、ただその場・状況・目の前にいる人間・自分の気持ちなど全てから逃げ出して解放されたいといった意味合いを多分に含んでいるからである。要は、「全てから楽になってやりたいことした〜い‼️‼️」というおきもちになっている状態である。
あくまで私の場合だが。
もちろんこれに当てはまらず死を匂わせてしまうこともある。そういう場合はこうすれば構ってくれるのではないかみたいな考えがベースになっていることが多い。
閑話休題。
なぜ現時点でそういった結論を出したかというと、暇すぎると死について考えてしまうためである。一時期、あまりに暇で死について考えてしまったがために毎晩怖くて眠れなくなった時期があった。今年の春も暇なのでそれを防ぐためである。
また、そう考えるとつまらない日常や人生でも「旅」という言葉のカッコよさでなんとなく乗り切れる気がするからでもある。「旅」であるので様々な人と関わったり、親切にしたりされたり、好きなところに自分から行ってみたりと、少し自由な方向に色々考えられる気がするのだ。
完全な自由ではない。旅も道を辿るものだから。でも気が向けば道を開拓するもよし。大変だが。
なんというか、最近まで自分の狭い考えにすごく縛られていたことに気が付いたので、少しだけそれを是正したかったのもある。人生は冒険なので。
「生きるということは死への恐怖を無くすための旅です。道中人間を嫌いになってもいいし好きになってもいいよ。行きたいところには行けばいいし近道も遠回りもありだよ」。と、ちょっとだけ自分を慰めてみる。なんかちょっとだけ楽しくなった気がする。
書くことなくなったのでおわり。
トラウマ
面白い話ではない
「バ先に2人でやらなきゃいけない業務があるんだけどよく一緒になる人が大好きなパートさんの悪口をずっと吹き込んできて毎回めっちゃ嫌な気持ちになってる」
↑はわたしがすぐツイ消ししたやつ
今日はその人にトラウマを抉られて何より不快だったので気持ちを吐き出そうと思う
バ先、なんかオープン当時から好きなパートさんともう1人別の主婦のパートさんの間で派閥争いみたいなことをしているらしい
業務でよく一緒になる人(以下Aさん)は別の主婦のパートさん(以下Bさん)の派閥に所属しているかはわからないものの、大好きなパートさん(以下Cさん)が嫌いらしくその業務をやる度に職場の愚痴やらCさんの悪口やらを私に吹き込んでくる
今日もAさんと業務で一緒になった
嫌だな〜と思いつつもめちゃくちゃに適当な返事をしつつ話半分に聞いていた
その話の中で、Aさんがすごく楽しそうに名前を出さずに別のパートさん(以下Dさん)の身体を揶揄する表現を使った
わたしは以前その言葉がめちゃくちゃにコンプレックスだった時期があるので胸に何かを思いっきり刺されたような気持ちになった
その時点で最悪なのに、「あいつだよ、わかるでしょ?」みたいなことを聞いてきてもっと最悪な気持ちになった
その時点で顔に出てたのだろう
Aさんは気まずそうに話を切り上げてその後は仕事の話しかしなくなった
わたしが適当な返事をしてるときに気付いてほしかったなあ〜